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渇欲 59
2017-05-11 Thu 21:00


このお話はフィクションです
血縁者の設定ですが第三者の女性が登場します
予めご了承ください






身体を丸めて眠っている男に、俺は独り言を話し続ける



彼の家の物より数倍大きなベッドに寝ているというのに
なぜか長い手足を器用にまとめコンパクトに眠っているシム・チャンミンの姿が



どこかフレアと似ている気がして、ちょっと可笑しくなった



フレア…
ある日、姉さんが突然連れ帰ってきた犬



元の飼い主が亡くなり大きな犬だったためになかなか引き取り手がなく、処分される寸前だったという



〈スタイルが良いし…何だかこの目がね、あなたに似てる気がしたの〉



彼を迎え入れた理由を姉はそんな風に話す
だが後になって、姉は手放した我が子への思いをフレアに重ねていたと知り、胸が締め付けられる思いがした



たった一度だけ神に背く行為に走った俺は
その後何事もなかったかのように振る舞う姉を見て、自分の想いは永久に封印する事にした



ただ…



愛しているのは姉だけというその想いが変わる事はなく
当然、他の女性への興味も失わせていたのだったが…



姉の期待に応えたいと、とにかく勉学に没頭した
家でフレアと楽しそうに戯れている姉の姿を見る事が、唯一の楽しみであり心が安らぐ時間だった



そして半年後の春
俺は名門と呼ばれるスタンフォード大学を卒業した



大学の卒業式に角帽を被った俺と記念写真を撮ることが夢だったという姉は
子供のようにはしゃいで大学まで迎えに来た



連れて行かれた写真館で
椅子に座る姉さんの肩に手を置いて一緒にレンズに収まる



〈恋人同士の記念すべき一枚を撮れて良かったです。とても素敵なので、写真館に飾る一枚に加えさせてください〉



年配のカメラマンが俺にそう微笑んだ



“恋人”と言われた事で、俺の顔にそんな雰囲気が出てしまっていたかとドキッとしたが
出来上がった写真を後から見て、俺は目の奥が熱くなった



写真を撮られ慣れていない俺は真正面を向き、見るからに緊張した表情をしていて
姉は日頃から会う人に俺を自慢の弟と言っていた通り、誇らしげに見上げている様に見えた



でも、俺には
姉の目は、俺への愛を伝えている様に見えたのだ



俺と同じ想いを姉が持っているのだと確信した



どこか言葉も通じない様な遠い遠い国へ行き
姉さんとフレアと、ひっそりと暮らしたいと思った



誰からも祝福されなくていい…
神にどんな罰を降されてもいい…
姉と二人で愛を育みたいという願いが生まれたのだ



写真を撮った後
卒業パーティーに出席しなければならなかった俺は、姉さんと写真館で別れた



〈夜は雨の予報だけれど一生の思い出になると
いいわね。はい、これは新しく作った卒業パーティー用のあなたのスーツ。

奮発したのよ?だから、会社に入社してからも使いまわしてね〉



そう言って紙袋を手渡した姉さんが、俺の目の前で笑顔を見せてくれた最後の姿だった






予報よりも酷い暴雨風になった深夜
卒業パーティーを終えやっとのことでアパートに戻った俺を迎えたのは、真っ暗な部屋と腹を空かしたフレアだった



姉はこんな時間にどこか行く事はない
商談で米国に訪れる母国の財界人の通訳をしながら、夜の相手もしていたけれど
必ず深夜零時前には家に戻って来たから



とにかく先ずフレアにごはんを食べさせてから知り合いに電話をかけようと、姉も使っている電話帳を手にした時
脇の電話がけたたましい音を立てて鳴った



その電話は地元警察からで
川で溺れ亡くなった人がいるのだが、そちらにお住まいの方と判明したと言われた



意味が分からない
聞こえているが、頭に全く入ってこなかった
何度も〈Mr.Jung?Mr.Jung?〉と呼びかけられてようやく我にかえり、俺は警察へと急いだ



数時間前まで俺に笑いかけてくれた姉さんは
警察の簡素な台の上で冷たくなっていた
川で溺れたという通り、姉さんの髪から垂れる水滴が床に小さな水たまりを作っていた



〈ぬかるみで足を滑らせて、大雨で増水した川に落ちた様です〉



警察官が無表情にそう説明し、書類の遺体引取り人の場所へサインを促す



事実を受け止められなかった俺は



泣き叫ぶことも
姉さんの亡骸に縋り付く事さえもせず
言われた通りにサインをし、手配してもらった寝台車に姉を乗せ家に帰った



姉のベッドに亡骸を横たえタオルで濡れたままの髪を拭く
色の白い人が冷たくなった事で余計その白さを際立たせている気がする



気づくとフレアも横に来ていて
寝ている姉さんをいつも起こす時の様に、鼻先で顔のあちこちをつつくけれど
無反応だからか、おとなしく足元に体を横たえた



確かに家の近くには川がある
俺が帰ってくる時も、川がいつも以上に増水している様子がわかるくらいだったけれど



こんな暴雨風の中、姉が川沿いを歩く様な理由がどう頭を捻っても見つからない



フレアを散歩させる時にはよく通っていたけれど、雨が嫌いなフレアはこんな天気では外を歩きたがらないし
何よりフレアは真っ暗な部屋でひたすら待っていた



朝になったら埋葬する準備をしなければならない…
ふと、現実に戻って立ち上がりリビングに戻る
喉が渇いた…そう思い電気をつけてキッチンに向かうと、食卓の上に小さな箱が置かれていた



綺麗にラッピングされた箱には、勉強にしか能のない俺でも聞いたことのある有名宝飾メーカーの刻印があった



箱を開けると、プラチナ台に鷹の目の様なラインが反射して浮き上がる石のついたカフスボタンが入っていた



脇に添えられた手紙
姉さんの好きな紫色の花がデザインされた便箋を開く



〈愛するユノへ

卒業おめでとう
大学を卒業したあなたには、希望に満ちた未来が待っています

あなたにはあなたの人生を歩んで欲しい
あなたのその人生には、私という汚らわしい存在は不似合いだと思っています

今、私は身籠っています
先ごろ、女の子だと判ったので胎児名を“ポラ”と名付けました

私の好きな色の名にしたのよ

これから先は、神に祝福されない可哀想な我が子と共に静かに生きていきたいと思っています

あなたの輝かしい未来へ、私からの最後の贈り物です

あなたの鼓動が脈打つ両手首で
私とポラがあなたを永遠に守っていくわ〉



ポラは、俺の子だ
そう直感した
だから姉は、俺の元から去る事を決意したのだろう



神に祝福されることのない我が子と共に
俺の手が永遠に届かないところへと……







親愛なる読者の皆様へ


いつも変わらずのご愛顧を賜り、どうもありがとうございます


勤め先が繁忙期に入った矢先に同僚が怪我をしてしまい、長期に休まざるを得なくなってしまいました


そのため、私も休み返上で連日出勤している状況です


愛犬の件があって以来不定期の更新とさせて頂いておりますが、更に更新頻度が遅くなってしまいそうです


楽しみにお運び下さっている読者様には本当に申し訳ございませんが、何卒よろしくお願い申し上げます


「渇欲」ではユノサイドの悲しい記憶を辿っておりますので、現在非常に暗い内容になっておりますが、最後までお付き合い頂ければ幸いでございます


ゆんちゃすみ




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渇欲 58
2017-05-07 Sun 21:00


このお話はフィクションです
血縁者の設定ですが第三者の女性が登場します
予めご了承ください






忘れていた感情…
いや、封印していた感情言うべきか



それを
この男によって蘇らす事になるとは…



俺から興味を持って接していたのは間違いない



だが、この男は



俺自身が長きに渡り積み重ね作り上げていた氷の城壁をいつの間にか溶かし、俺の陣地へとあっさり侵入していた



俺だけしか知らない息抜きの場所…
姉さんが眠るシアトルへと続く海が見えるあの場所に連れて行ったのも
俺の心がこの男に掴まれたからかもしれない



シム・チャンミン…



手枷足枷をされた挙句
無理矢理俺に身体を開かされた筈なのに
短期間で俺の目の前に姿を現し、くるくると変わるいくつもの表情を見せてくれた



怯えた顔、動揺した顔、困ったようなはにかんだ笑顔、そして官能を貪る妖艶な顔



そして今
俺の腕に抱かれ穏やかに目を瞑る寝顔…



自分の腕の中にあるものを守りたい
そんな感情を蘇らす事になろうとは、思ってもみなかった



フレアがこの男に簡単に懐いたのも一つの理由かもしれない
彼はプライドが高く人に声をかけられてその体に触れさせても、決して頭を撫でさせる事はなかった



それなのに初めて会った時からシム・チャンミンの話を聞き、きちんと目を合わせて
そして彼に頭を撫でられて嬉しそうにしているのを見て、俺の中で何かがぷつっと切れたのだ



フレアは、姉の宝物だった
死んでしまった姉の身代わりに、俺のそばで無理矢理生かされている
そのフレアが、シム・チャンミンを受け入れていたから…







俺には、一回り年上の姉がいた
いわゆる腹違いの姉で俺が産まれた後すぐに両親が事故で死んだため、赤ん坊である俺と共に孤児院に引き取られた



大きな夢を追って渡米した父親は財を成すどころか借金を残し、挙句の果てに呆気なく事故で死んでしまう



まだ学生だった頃から姉は
父親の作った借金と、望んでいなかった父親の再婚によって産まれてきてしまった弟を背負わさせられた



でも姉は俺を大事にしてくれていた
腹違いとはいえ残された血縁者が俺だけだったから、孤児院から学校へ通いつつアルバイトをしておやつを買い俺が待つ孤児院に帰っていた



俺を連れて一日も早く孤児院を出たかった姉は、睡眠時間も惜しんでアルバイトしていたらしい
友人と遊ぶ事はもちろん、恋をする事もなくハイスクールを卒業した



孤児院の院長はアル中で、事あるごとに子供達を虐待していたそうで
殴られている俺に覆い被さりながら、姉が身を呈して庇ってくれた事を覚えている



姉は、色の白い人だった
母親が違うせいか俺とは違い、目鼻立ちがはっきりしていて韓国人らしくない顔をしていた



ハイスクールを卒業した姉は小さな旅行会社に就職し、アメリカに商談に来る韓国人の通訳をする様になっていたが
その見た目が災いしたのか、夜まで付き合わされる様になっていく



〈ユノ。私はあなただけが生き甲斐なの。
あなたがテストで良い点を取ってくれればすごく嬉しいし、あなたが大学に行って一流企業に勤めてくれる事が夢なのよ〉



事あるごとに俺へそう言っていた姉さん



たった一人の肉親である姉に懐いていた俺は、その言葉に応えようと一生懸命勉強した



ジュニアハイスクールでも優秀な成績を納め、このままいけばハイスクールでは飛び級で名門大学に合格するだろうと言われた



“そのためにはぜひとも、学力を更に伸ばすべく家庭教師をつけて勉強させると良いですよ”



ジュニアハイスクールでの三者面談時、先生にそう言われた姉さんは



〈ユノが頑張っているんだから私ももっと頑張って働かなくちゃね〉と
背丈の超えた俺を見上げる様にして優しく言っていた



そのためだったのか
姉はいつの間にか、渡米してきた韓国財界人相手の高級娼婦になっていた事を俺は知る由もなかったが…



俺がハイスクールに入ったばかりの時
どうしてもワシントンでやらなければならない仕事があると言う姉と、半年ばかり離れ離れになった事がある



その時姉は、ワシントンではない近くの産婦人科で一人の男の子を産み落としていた
姉を気に入りアメリカに来る度姉を呼んでいた、韓国の大手企業の社長の子供を身篭っていたのだ



その子供は産まれてすぐに教会へ預けられた
俺を立派な大人にするために、父親にもその存在を知らせずに姉は我が子を手放したのだ



俺が姉を愛している事に気づいたのは、その事実を知ってしまった時だった



ハイスクールから飛び級で大学へ進学した俺は、奉仕活動で通っていた教会で可愛らしい男の子を見かける



アジア人の顔立ちだがびっくりするくらい色白で、そしてそのくりくりとした目元がどこかで見た事がある様な気がしたんだ



人見知りが激しく癇が強かったその子は、教会でも持て余される子供だった様で
いつも教会の隅っこで、一人ぼっちで遊んでいた



何故だか俺はその子が気になって、吸い寄せられるようにその子に近づいた



『何で一人でいるんだ?俺と遊ぼう。
俺もさ、いつも一人だったからお前が遊んでるそのゲームけっこう得意なんだぜ』



そんな風に声をかけた俺を見上げた顔が
いつも俺のそばで、どこか寂しげな顔で俺を見上げているその人にそっくりだった



俺の差し出す手に色の白い小さな手を差し出したその子は、なぜかぎゅっと抱きついてきた
抱きついたまま何も喋らず、ただじっとしているその子がすごく愛おしく思えた



それ以来教会に行く度にその子に必ず声をかける様にして、その子も少しずつ俺に喋る様になり自分の名がテミンと言う事も教えてくれたのだけれど



姉さんとの食事の際にたまたまその話をした時
姉さんが急に食事を喉に詰まらせひどく動揺した事が妙に気になった俺は、大学の先輩で教会のボランティアをずっとやっている人に事情を尋ねた



そして、事実を知った



姉さんが誰かの子を産んだという事実
そして俺のために我が子を手放したという事実を…



問い詰めた時、姉さんは泣き笑いの顔で言った



〈私にはユノだけが生き甲斐だと言ったでしょう?産まれた時から、たった一人の大切な存在であるユノを…あなたを愛しているの

あなたが笑い、喜ぶことが私の幸せになる。
あなたが泣き、苦しむ事は私の不幸になるのよ〉



俺を抱きしめた姉さんが続けた



〈だから、こんな私のために苦しまないでちょうだい。ね、ユノ。私に笑顔を見せて?〉



〈愛している〉
姉さんが言ったその一言は、俺に背徳の行為へと踏み切らせた



俺も、姉さんを愛していると思った
唯一、心から愛している存在だと気づいてしまったから…







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渇欲 57
2017-05-04 Thu 21:00


このお話はフィクションです






「…ぃッ」



ベッドの上でチョン・ユンホに抱えられた時
前日に受けた傷に手が当たり、俺は小さく呻いた



『痛むか?明日医者を来させよう』



大した傷ではないけれど
そんな風に言うヤツの妙な優しさがくすぐったい



「いいって…こんな傷で往診なんかさせたら笑い者だよ」



そう言いながら
抱えられたままでヤツの厚い胸へ倒れこむ



この部屋で過ごす三日目の夜
三日という時間は、実際の日にち以上にお互いの距離を縮めていた気がする



ヤツの身体から香るボディーソープの匂いも
もう嗅ぎ慣れた匂いの様に思えて



包まれる温もりも
その心地よさを俺の身体が覚えてしまった様で
フレアと全力疾走して疲れた身体に、穏やかな入眠を促してくる



乙旺里の海岸にあるレストランでひとときの休息を楽しんだ俺たちは、再びヤツのマンションへと戻っていた



帰ってきて早々大きな荷物を抱えたセフンが現れて、俺をチラッと一瞥した後ヤツへ仰々しく頭を下げて帰って行った
その荷物は、真新しい衣服類だったんだけど



『お前にやる服が無くなった。
お前は細いから、俺のではだいぶ大きいと思ってな』



セフンはお前と体型が似てるから、自分に合う服をいくつか見繕って来るよう頼んだのだとヤツは続けた



『服を見てお前が一番欲しいと思った服はそのまま俺からのお礼だと思ってとっておいてくれ、と言ったら案外すんなり引き受けてくれた』



そう言って笑いながら荷物を広げるチョン・ユンホ



俺がセフンをおちょくった時、代表の事を悪く言うなと食ってかかった事を思い出した
きっとあの男は、チョン・ユンホを崇拝しているんだろう



「ご丁寧に新品の下着類まで入ってるけどさ、これじゃまるで、俺がこのままこの家に居着くみたいなんだけど」



広げられた荷物を見ながら口を尖らせる



『何だ。このまま居着きたいのか?
俺は時折、お前がこうして来た時の準備をしておいたつもりなんだが』



「なっ…!」



年がいくつも変わらないセフンはおちょくる事が出来ても
この男には、こんな風にあっさりからかわれてしまう



「居着かねーよ!フレアには会いに来るけどなっ」



俺はそう言って広げた荷物を一まとめにして、リビングで寛いでいるフレアの元へと逃げた



飼い主と同じ様な細面の顔にアーモンド型の目…
ヤツの目が黒曜石の様な色をしているのに対し、フレアは綺麗な琥珀色を瞳をしている



その目をキョトンとさせて抱きついた俺を見返すフレア
眠っているところを邪魔されたからか、長い足を伸ばして煩そうに俺を押し退ける



フレアのふわふわした毛の柔らかさが心地よくて
俺はしつこく隣に寝転び、フレアにまとわりついた



『フレアに嫌われるぞ。
彼に会いにくるんだったら、嫌われたら元も子もなくなる』



すぐ側まで来ていたチョン・ユンホに腕を引っ張られた



『フレアに嫌われたら、俺に会いにくればいいがな』



勘違いしてしまう様なヤツの甘い囁きは
海辺で与えられた優しいキスを思い出してしまう



見つめられるその目を逸らしてしまうのは
ヤツにとって俺がどんな存在なのかという事を
勘違いしてしまいそうになるからだ



「そりゃ会いにくるさ!あんたは俺のターゲットなんだからな!」



ヤツの胸を
さっきのフレアみたいに手を突っ張って押しのけて言う



そんな精一杯の強がりも



夕刻にやって来たプロの料理人によって作られた夕飯の美味しさと
ヤツが好きだと言う日本製のウィスキーの上品な酔いが



あっさり俺を陥落させてしまう



出張料理人に夕食を作ってもらうなんて、俺の人生においてある筈も無く
そんな些細なサプライズも俺に妙な高揚感を招いた



酔い覚ましにフレアと夜の散歩に出かけて
帰ってきた後、傷口に染みるお湯に顔をしかめながら広いバスタブに身体を沈めた俺は



今夜もこの男の腕の中に居る



『ターゲットと一緒にいる割には、全く質問もして来ないな?』



身体を交えた後
程よい疲労感でヤツの胸に抱かれていた俺へ、煙草に火をつけながらチョン・ユンホが言った



「相手を籠絡しようとして、手っ取り早くベッドに潜り込んだと思われたくないからな」



チンピラに乱暴され身体に傷を作りながら
今夜もヤツの与える快楽を余す事なく享受した俺が言う事じゃないかもしれないんだけど



『ほう。俺がお前の身体に翻弄されて秘密を吐露すると言うのか』



紫煙を燻らせながら、片手で俺を抱き寄せるチョン・ユンホ
その不遜な言い方にすら、大人の男という色香を色濃く滲ませている



「どうだろうな。俺に秘密をバラして記事にされたところで、きっとあんたは屁でもないだろうけどね」



口に咥えている煙草を奪い灰皿へ押し付ける
その代わりにヤツの唇に俺の舌をねじ込んだ



奥深い官能を与えられてもなお、ヤツを求めてしまう
俺が渇いていた物の全てを、この男によって潤わせて行く様に



「油断した所で一気にその首へ刃を突き立てるかもしれないよ?」



お互いの口腔内を存分に掻き回した後
その隙間から溢れる雫を舌で舐めとってから、ヤツへ告げる



『お前の標的にされるだけでなく、その恐ろしい刃を受けるのも悪くないな』



いや……
狂おしい程の情欲という刃を突き立てるのはあんただ
チョン・ユンホ……



「美人局って言うけどさ。男の場合は何て言うんだろうな?
俺の身体にのめり込むあんたに…ピロートークで秘密を話させるんだ…」



自分で話している言葉も夢か現か分からない
チョン・ユンホの腕の中で、俺は情交後の気怠さのまま眠りに落ちて行く



『ピロートークでか…お前の求める真実は、俺が話す事の中に存在するだろうか?』



チョン・ユンホのやや性急な口調が、耳に心地よい



「テミンが言ってた…ピロートークで聞き出せってさ…」



“高校生のくせにけしからんことを言う奴だ”



そう言ったチョン・ユンホの声は、俺の耳にはもう聞こえていなかったけれど
寝息を立て始めた事を確認することもなく、ヤツはゆっくりと話し始めた



チョン・ユンホには一回り年上の姉がいた事
テミンは、その姉の子供だという事



そして、その姉が
チョン・ユンホが唯一愛した女だったという事を







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渇欲 56
2017-04-29 Sat 21:00


このお話はフィクションです






「うわっ!フレア、速いってば!」



週末とはいえ、この寒い時期の乙旺里(仁川広域市にある海水浴場)には人っ子一人いない



車から降りて早速念願の散歩をし始めた俺は
ご機嫌なフレアの全速力での疾走についていけず、砂浜で見事に転んだ



フレアはそんな俺を気にもとめず、リードをぶら下げながら自分の好きなペースで走って行ってしまう



『フレア、Come!』



車を駐車場に停めた後、俺の後ろからついてきていたチョン・ユンホがそう声を掛けると
フレアはヤツの元へとあっさり戻って来る



『ダメだな…若いくせに脚が全くついて行ってなかったぞ』



転んだ俺の手を引っ張って、立たせてくれたヤツが笑いながら言う
ヤツの指が俺の頰に触れた



『砂が……』



どうやら転んだ際についたらしい



俺の顔についたそれを払いながら
その指は顎を掬い取って、柔らかな唇の感触を誘った



冷たい潮風が、重なる唇に潮の香りも届けてくれる



なぜ…
今日の口づけはこんなにも優しいのだろう



足元で大人しく伏せたフレア
彼のリードを持ったチョン・ユンホのもう片方の手が、俺の腰を引き寄せる



官能を呼び起こす様な深いそれではなく
身体の奥に、妙な感情を際立たせる様な優しい口づけ



これじゃ、まるで…
……いや、そんな事があるわけ無い



「もう一回、散歩し直す!」



自分の存在定義を勘違いしてしまいそうで
抱き寄せられたヤツの腕から抜け出した



海岸沿いを、今度はリードを短く持って歩く
フレアは時折俺の顔を見上げながら、歩調を合わせて付いてくる



その後ろを
日差しが眩しいのか、チョン・ユンホが目を細めながら付いてくる



冬空の中でも
周りにはやけに穏やかな空気が流れているようで



それは
時の流れまでもがその針をゆっくり進めている様だった



この男と、こんな風に歩いている自分が信じられないけれど
それでも、今この時間を共有しているという事実



この男は…
この時を、この空間をどう思っているんだろうか…



俺とフレアの数歩後をゆっくり歩くヤツの顔を、少しだけ首を捻り覗いてみる



何だよ…何で微笑んでるんだ…



初めて見るヤツのそんな表情に、いつになく鼓動が早まる
くそッ…俺の体はどうなってんだ!



目が合いそうになるのを、隣を歩くフレアの頭を撫でて誤魔化す



『シム・チャンミン。
この先に俺の持ち物の店がある。そこで一休みしよう』



いつの間にか歩調を早めたチョン・ユンホは
いつの間にか隣に並び、顎で行き先を示す



海岸に大きくせり出す形のテラスを配した小洒落た建物が見えた
入口にはすでに来る事を知らされていたらしい従業員が頭を下げて出迎える



テラスに置かれている大きなテーブルとソファー
その横には暖をとるストーブも置かれていて
チョン・ユンホは俺の腰にスッと手を回し、その席へと座らせた



コの字型のソファーに並んで座る
真冬のテラスは寒々しいけれど、ストーブのおかげで寒さは感じなかった



従業員から水を貰ったフレアはそれを飲んだ後
足元に置かれたラグに優雅に体を横たえる
ここにはよく来るんだろうか?フレアのそんな様子から、来慣れている感じがした



『小さい頃から俺は海を眺めるのが好きでな。時間が出来るとここに来るんだ』



運ばれて来た暖かいスープを口に運びながら、ヤツがぽつりと言った



「あんたアメリカ育ちだよな。スタンフォード大学ってカルフォルニアだったっけ。海の側だもんな」



前に調べた事を言いヤツの話に合わせる



「カルフォルニアは太平洋でこの海は西海だから、海の色も違うんだろうけどな」



いつか写真で見たカルフォルニアの海は鮮やかな碧い海で、明るいイメージだけれど
冬の西海は静かな蒼い色で、ねずみ色の曇り空と似合うという印象だったから



『いいんだ、むしろ違う方がいい。
同じ色の海を見ると思い出したくない記憶も蘇る』



海を眺めるように置かれたソファーの上で、俺の手を握ったチョン・ユンホ
心なしかその手は震えていた気がした



ヤツの頭の中にあるアメリカの記憶は
お姉さんの死もあって辛いものなのかもしれない



俺に打ち明けようとしている訳ではないんだろうけれど、それを隠している様にも見えなかった



理不尽な暴行を受けてショックで震えていた昨日の俺
この男の温もりが傷を癒してくれた



今日は俺が
握られた手を…ヤツの大きな手を握り返す
言葉ではなく、手を握り返すという事で会話をしているみたいだ



『来週は忙しくなりそうだ。青瓦台がもっと慌ただしくなるだろう。
お前もあの事務所で泊り込む事になるかも知れんな…あのボロさでは隙間風が寒そうだ』



余計なお世話だ、そう思ったけれど
俺と同じで、ヤツもあえて憎まれ口を叩いてるのかもしれないって思った



「俺は…これからもあんたを追い続けるよ。
青瓦台の騒ぎの裏側にも…きっとあんたの顔が見え隠れしてくるだろうからな』



『情熱的だな、シム・チャンミン。
お前に追われるのならば、それはそれで悪くない』



握られた手はそのままに
チョン・ユンホは、もう片方の手で俺の顔を引き寄せる



『お前に追われて向かう先がたとえ地獄だったとしても、俺はこの手を離さんぞ。覚悟しておけ』



……それで構わない
俺はチョン・ユンホという監獄へと投じられる事を望んだのだから



今度は俺が
空いている手でヤツの顔を強引に近づけて、柔らかい唇を塞いだ



「望むところだ。あんたの全てを暴いてやる」



全ての事が向かう先にどんな答えがあるのか、それはまだわからない



チョン・ユンホという男の“真実”を知る事は
シム・チャンミンの“渇き”を満たしてくれるんだろうか



二人が進んでいる荊棘の道
その行き先が地獄か、天国か…
その答えは、俺自身が導き出さなければならないんだ



見つめる海に立つ波は、今は静かなままだけれど
いつ雲行きが変わり強い風が吹き大きな波を立て始めるかもわからない



今はただ…
この男と互いの体温を感じ、穏やかな空間を共有していたいんだ



歩き疲れたフレアがこくりこくりと眠たそうに目を細めているのを見ながら



隣の男の温もりを、ただひたすら心地よく感じていた俺だった






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渇欲 55
2017-04-26 Wed 21:00


このお話はフィクションです






この男に植え付けられてしまった官能は
俺の四肢を完全に絡め取っている様で



ヤツがただ食事をしているだけでも
その艶めいた唇が、俺の身体を疼かせてしまう



身体だけではなく
この男は、俺の心をもあっさりと掴んでしまった



自分の中にある渇いた部分が
チョン・ユンホという男によって満たされてゆくことが怖いんだろうか…



俺は……



『どうした?自分が作った料理の味付けがおかしいのか?俺は美味しく頂いているがな』



そんな俺の心を読んでか
あえてとぼけた事を言ってくるチョン・ユンホ



きっと今
俺はこの男を求めている様な顔になっていた筈で
途端に恥ずかしさが込み上げてきた



「いやっ、別にっ。そりゃあうまい筈だよ!
俺、レストランでバイトしてからな!」



ヤツの前ではどうもうまくいかない
しどろもどろになり、殊更大きな声で言い返す
そんな俺の元にフレアが寄ってきた



「ん?お代わりか?
俺はお前の食事係かよ。仕方ないなぁ~」



フレアの頭を撫でて立ち上がる
するとチョン・ユンホがコーヒーカップを突き出した



『お前の作るカフェオレの味は丁度良い』



チッ…
お前もお代わりかよ、全く
この男も俺を係みたいに扱いやがって…



「フレアはさ、いつまでここに居るの?お姉さんから預かってるんだろ?
俺、こういうデカイ犬と一回散歩してみたいんだけど」



小さい犬は友達の家で抱っこした事もあるけれど
こんな珍しい犬を散歩させたらさぞかし楽しそうだと思って聞いてみる



今日は休みだし
昨日の嫌な記憶も、この男への恋愛感情の様な妙な気持ちも
フレアと一緒に思い切り走って忘れたかった



『毎日散歩させてもいいぞ?お前は若いし、そこそこ体力もありそうだからな。フレアも喜ぶだろう』



カフェオレのお代わりを受け取って一口飲んだチョン・ユンホは
新聞を広げて、俺の視界から急に見えなくなる



『フレアの飼い主は死んだ。
彼は永遠に預かりっ子のままだから、いつでも連れて行って構わん』



え…?
何て言った?
お姉さんは亡くなったのか?



そう言えば…



〈シムさんにヒントだけあげるよ。
あいつには過去に失った大きな存在がある事。
その哀しみの反動が、全てを掌握しようとする原動力になってるって事を…〉



Luciferがそんなことを言ってたっけ
過去に失った大きな存在っていうのがお姉さんって事か?



「……えっ、ああ、そうなんだ。
じゃあ今日連れて行っていいか?俺、今日は休みなんだ」



この部屋の隅にひっそりと飾られていた写真を思い出しながら、お姉さんの事には触れずに訪ねる



なんとなく聞いてはいけない気がした
こんな俺でも…その事は深い事情があるって察したから



『取材は平日限定、週末はしっかり休むのか。まあ、メリハリあるというのはいい事だ

……俺も休みだから、車でも出そう』



は?散歩だって言ってんのに…
新聞を畳んだヤツは、すたすたと部屋を出て行った



よく分かんないけど
あいつとはいつも会話が噛み合っていないし、まあいいや



「食べ終わった皿ぐらい自分で下げろっつーの…」



チョン・ユンホが置きっ放しにしている皿を渋々片付けて、フレアの飲み水を新しく変えてやる



『これも俺には少し小さめなんだ。お前に丁度いいだろう』



前触れもなくいつの間にか戻ってきたヤツが、手に持ったものを俺に渡して寄越す



それは、紺色のシンプルなコートだった
肌触りが滑らかで心地よく、どうやらカシミヤだと思われる



『昨日の事でコートが汚れていただろう?それを着ていけ』



見るとチョン・ユンホも
普段の黒い三揃いのスーツ姿からは随分イメージの違う、カジュアルな服装に着替えていた



「スーツ姿が似合うヤツの普段着って、なんかゴルフウェアみたいだよな」



いつも流し固めている黒髪も、今日は朝見たまんまの洗いざらしの状態で
なんとなくドキドキしてしまう自分が情けなくて、嫌味っぽく言ってしまう



『スーツが似合うと言ってもらえて恐縮だ』



ヤツは俺の頭をぽんと叩いてから『フレア、行くぞ』と声をかけた



フレアの後に、俺も渡されたコートを羽織ってついて行く
チョン・ユンホはフレアの首に刺繍の施された太い首輪を付け、先に靴を履いた俺も一緒に玄関を出た



「ひゃー、駐車場もあんた専用のがあんのかよ」



専用のエレベーターに乗り地下に降りたつと
想像していた広い共有駐車場ではなく、数台しか停められない広さの空間が広がっていた



俺があの夜、目を奪われた黒塗りのベンツは無い
いつも秘書らしい男が運転して来てるから、あれは仕事用なんだろうか
フレアはそのうちの一台に向かって小走りに向かう



『あれはフレアの車なんだ』



その言葉を聞いて口をあんぐり開ける俺
その横を何事もなかったようにヤツが通り過ぎ、リアゲートを開ける
それを待っていたようにフレアが車に飛び乗った



『ほら、行くぞ』



いつまでもぽかんとしている俺の手を引き、座席へと座らせたチョン・ユンホ
リモコンで駐車場のゲートを開けて、車は走り出した



あの夜…
この男と初めて出会った時目を奪われた黒塗りのメルセデスベンツAMG
『フレアの車』と言っていたこの車もベンツだ



いわゆるSUVタイプのこの車がいくらするのか見当もつかないけれど
後部座席の窓を開けてもらったフレアが嬉しそうに顔で風を感じているのを見たら、どうでもよくなってきた



『ああやって外の空気を嗅ぐのが楽しいらしい。冬はたまったもんじゃないがな』



俺が首を後ろに向けてフレアの姿を見ているのへ、ヤツが苦笑気味に言った
確かに暖房を入れていても、冷たい風が前まで流れ込んでくる



「しかしさぁ。犬にベンツが一台か…
他にも停まってたよな。あれもあんたのでしょ?
仕事に行く時の黒いのが一台…何台あるんだよ」



SUVタイプのベンツの横にもう一台ベンツが並んでた事を思い出し、呆れ気味に独り言ちた



『なんだ。お前も欲しいのか?
確かにお前は俺の物だからな、一台あってもいいかもしれん』



…ダメだこいつは
今まで、この男の凄すぎる経歴ばかりに気を取られていたけど
実は頭の中がいかれちゃってるのかもしれないな



「あのね。あんたの物でも何でも、俺専用の車なんかいらねえよ。ポンコツだけど自分の車あるし」



冗談じゃない
車なんかもらったら、それこそ愛人じゃねーか



『俺の物、と認めるのか?可愛いやつだ』



ヤツは俺の言葉じりを捕らえるようにニヤリと笑い、右手で俺の手を掴む



「やめろ!ちゃんと前見て運転してくれよ!
あんたと車に同乗したまま死んだら…何て言われるか想像しただけで変な汗が出るわ」



『そうだな……
テソン代表、年下の恋人と心中か?!という風に、センセーショナルかつシンプルなタイトルになるだろうな』



恋人…?俺が恋人だって言うのか?
…例えば、っていう話だよな



フレアのために全開になっている後部座席の窓から、潮の香りがしてきた事にも
“恋人”というキーワードに動揺していた俺は全く気がつかないでいた



奇妙な関係性の男二人と犬一頭を乗せたMercedes-AMG GLE 63Sは



その白い車体に西海の風を受けながら、乙旺里の海岸へと近づいていた







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